FINE DAYS 本多孝好

2010年6月2日

4つの短編小説からなる本。表紙に惹かれた。それでけで買った本。
本多孝好という人をこの本で知った。あぁ良いな、と素直に思えた。

何が、と考えてみると、
「時間」に対する感情が描写されているということではないだろうか。

その人物の芯となるもの、
生きていること、
考える方法、
大切であるもの、大切にしたいもの、
そして目の前の鏡に映る自分。
そういうものが少しずつ見えるような気がする。

普段なかなか気づきにくくて、もやもやとしてしまうものなのだけれど、
あぁ、そうか、私もこんな風に思うのは、時間の経過に対してなのだな、と知ることができる。

生命っていうのは、時間の積み重ねなのだな、としみじみ思う。
時間に対する感情は、生命に対する感情にとても似ていると思う。

4つともどれも好きだ。でも特に、といわれれば「シェード」が好きだ。
『闇はそこにはないのですよ』
『光がなければ、闇もまた存在しません』
文字にしてしまえば、その通り。
それを、まるで絵画のように「描写」できるのが彼の素晴らしいところだと思う。
彼が書く人物は、いつも優しくて、強くて、弱い。
だから魅力的なのだと思う。

「儀式」 <略歴など/石垣りん>

2010年5月29日

生きている意味、とか、生きているとはどういうことか、とか
ぐるぐると考えていた時期があった。

そういう時期にこの詩に出会った。

母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れて行くがいい。

洗い桶に
木の香のする新しいまな板を渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ庖丁をしっかりにぎりしめて
力を手もとに集め
頭をプスリと落とすことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。

パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭す前に。

長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。
    儀式/石垣りん

そうなのか。
と、実にスッキリしたことを今でも覚えている。
あぁ私が探していた答えはここにあった、と。

目をそらさずに、
口当たりのいい言葉で誤魔化さずに、
ただそうあれば良い。

たとえば、
“命をいただくのだから感謝をすべき”とかいうのとは違う
ただ
その骨の手応えや、血のぬめりを感じ続けること。
慣れずに、ただ感じ続けること。

生きている手ごたえ、は
達成感なんかだけを指すわけではなくて
そういう手応えやぬめりを忘れずに感じ続けることではないかと思う。

この詩から、石垣りんの世界に出会い、さらにいろんな世界を知った。
私にとって、大切な扉のひとつとなった詩。