「儀式」 <略歴など/石垣りん>

生きている意味、とか、生きているとはどういうことか、とか
ぐるぐると考えていた時期があった。

そういう時期にこの詩に出会った。

母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れて行くがいい。

洗い桶に
木の香のする新しいまな板を渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ庖丁をしっかりにぎりしめて
力を手もとに集め
頭をプスリと落とすことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。

パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭す前に。

長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。
    儀式/石垣りん

そうなのか。
と、実にスッキリしたことを今でも覚えている。
あぁ私が探していた答えはここにあった、と。

目をそらさずに、
口当たりのいい言葉で誤魔化さずに、
ただそうあれば良い。

たとえば、
“命をいただくのだから感謝をすべき”とかいうのとは違う
ただ
その骨の手応えや、血のぬめりを感じ続けること。
慣れずに、ただ感じ続けること。

生きている手ごたえ、は
達成感なんかだけを指すわけではなくて
そういう手応えやぬめりを忘れずに感じ続けることではないかと思う。

この詩から、石垣りんの世界に出会い、さらにいろんな世界を知った。
私にとって、大切な扉のひとつとなった詩。

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